なぜ、皆に瞑想の参加を呼びかけているのか? By大内雅弘
Twitterで、僕の趣旨や、瞑想のやり方を説明しようとしたんだけど、文字数がすくなすぎだ。facebookでも呼びかけたんだけど、使いかたが良くわからないし、やはり文字数が少なすぎ。
内容に誤解がしょうじやすいこともあるので、ブログで書いていくことにした。
今回の大惨事は、単に地震と津波の自然災害で大変だというふうには、考えていない。
地震いらい、ずうっと考えていることは、僕がここでなにをするべきなのか?なにが出来るのか?いままでずうっとやってきたTaoZenの瞑想、気功、太極拳、呼吸法、チネイザン、ヒーリング、ライフ・エンパワーメント、ボディエクササイズという意味も再考している。
いつも言ってきていることが再確認されている。
それは、プラクティス(行)が実際の「生きる」に役にたたないと意味が無いということ、プラクティスが個人だけのものでは意味が無いという二つのことだ。そして「瞑想のある生き方」ということが大切だと再確認している。
僕が提唱しているTaoZenは、分かりにくいと思うけど、あんまり分かりやすくしてしまうのもどうかと思っている。本来、じっくりと味が出てくるものだ。
今、この時点では、災害の被害がなるべく少ないように祈ること、助けの必要な人たちに間接的でも、眼に見えない形でも、手を差し伸べること、心と場を共有すること、が大切だ。同時に、我々の所属している時代、文化という中で、これから長期にわたって、いったいなにを学ぶべきなのかを熟考する必要もある。
NYでのテロ事件の体験でも、沢山考えさせられた。生きる方向の調整というか変更もした。それでTaoZenが生まれた。
土曜日に、朝の瞑想をしていて、僕ができるのは、なるべく多くの人と深呼吸と瞑想をシェアすることではないかと、強く感じた。それでみんなに呼びかけてみようかと思った。と同時に、それは余計なお世話ではないかとも感じた。
日本の文化に、まだ慣れていない僕には、判断がつかなかった。僕の指は自然に、ばななさんにメールを打っていた。
「ああいうTVを見過ぎるのは良くない。やってみたら、応援するよ」みたいな返事だった。
すぐに行動した。丁寧な日本語がかけない僕にしては、大変だ。ちょっとでも失礼な言葉や、不適切な表現があると、こういう時には、反応が大きいからだ。全員に満足してもらうことは不可能だ。というわけで不器用に始めてみた。
実際にどのくらいの人が賛同してくれているかは分からない。でも、一人でも居てくれたら良い。少なくてもTaoZenの会員ならば、僕の言葉が分かってくれるのではと信じている。そして、その輪がこれを機会に広がるかもしれない。
瞑想で繋がることのパワー、宗教でない瞑想を信じている。今まで何度も、100人瞑想というイベントで、多くの人が集まって瞑想することのパワーを感じてもらってきているけれど、今回は、眼にみえない100人瞑想だ。1000人、一万人瞑想にしたいけど、今の僕には、100人が良い。
とにかく参加、賛同してくれた人、これからも宜しくお願いします。
大内雅弘